「今こそ、韓国に謝ろう」(百田尚樹)の感想

About “Now is the time when Japan should apologize to Korea” (Naoki Hyakuta)

“지금이야말로 한국에 사과하자”의 감상

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この本について、韓国の「ナムwiki」は、「日本が野蛮な韓国を勝手に開花して発展させたので、謝罪しなければならないというとんでもない内容を含んでいる。」と書いているが、 具体的に何が間違っているかについては、全く説明していない。 ウェブページを検索しても、「日本の右翼の妄言だ。」という言葉は発見されるが、この本の具体的な内容について触れているものはない。 韓国語版が出版されていないため、実際に読んでいる韓国人がいないのではないかと思われる。 韓国人は、実際に読んで、具体的に意見を述べるべきである。

また、百田氏が本当に韓国に訴えたいのならば、韓国語版を出すべきだと思う。 それをしないと言うことは、単なる金儲けに過ぎないのではないだろうか?


百田氏の主張について


具体的内容

  1. 教育

    1. 「東亜日報」によると、1920年代まで、朝鮮人の文盲率は80~99%だったが、日本が小学校教育を進めた結果40%に下がった。
      ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』p.444 (1905年)は、「約85パーセントの人々は読むことも書くこともできない」としている。)
    2. 1905年、朝鮮には小学校が40校しかなかったが、日本は凄まじい国家予算を投入して、1943年までに4,271校に増やした。
    3. 当時の上流階級は「両班」で、漢文を使っていて、ハングルは劣等文字として使っていなかった。 そこでハングル習得を小学校の必修教科にした。最初のハングルの教科書は東京で印刷製本された。
    4. オランダはインドネシアを200年支配したが、現地の子どものための小学校は1つも作っていない。アフリカやアジアを支配したイギリスもフランスもスペインも同様である。
    5. 日本の学校は木造だったが、朝鮮の小学校の校舎の多くはコンクリート造りやレンガ造りの立派な建物だった。
    6. 日本は小学校だけでなく、24の専門学校、75の中学校、75の高等女学校、133の実業高校、145の実業補修学校、1つの大学予科を作った。
    7. 日本はさらに22の師範学校も作った。(それらの多くは後に韓国の国立大学になった。)
    8. 日本に5つの帝国大学があったが、6番目に京城帝国大学を作った。(ソウル大学校は京城帝国大学の施設や理事会を受け継いだが、京城帝国大学が起源ではないと主張している。) 京城帝国大学の図書館予算は東京帝国大学の10倍だった。
    9. 総督府は、村々に公会堂を建て、夜、字の読めない大人にハングルや日本語を教えた。
    解説
    • アンガス・ハミルトン 『朝鮮』 (1904年) (Internet Archive )
      朝鮮語の文法で書かれた国内新聞の漢字・ハングルまじり文を読める人はほとんどいない。 (p. 108)
    • ウィリアム・グリフィス『隠者の国・朝鮮』 (1905年) (Internet Archive )
      85パーセントの人々は読むことも書くこともできない。ただし地域差は大きい。 (p.444)
  2. 自然の改造

    1. 朝鮮には、植林という意識がなかったため、朝鮮の山々は禿山で、大雨になると洪水を起こしていた。日本は「緑化運動」と称して、植林を行った。
    2. 総督府は、焼き畑農業をする「火田民」に農業用地を与え、焼き畑農業を禁止した。
    3. 日本は、総数5億9000万本の木を植え、日本風の景色に変えた。 (最近、日本が韓国の太白山に植えた50万本のカラマツを韓国が伐採する予定であるというニュースがあった。理由は併合時代に日本が日本特産の木を植えたことが気にいらないということである。)
    4. 併合前は100キロしかなかった鉄道を6000キロにまで増やした。日本の鉄道は狭軌であるが、朝鮮には広軌の鉄道を敷いた。
    5. 1925年、東京駅よりも豪華な京城駅を完成させた。
    6. 当時の朝鮮半島の川はほとんど護岸工事がなされていなくて、洪水の被害をもたらした。日本は多くの川に護岸工事を行い、多くのダムを造った。
    7. 鴨緑江には、当時世界最大級の水豊ダムを作った。水豊ダムは今でも北朝鮮の有力な電力源で、国章に描かれている。
    8. 大きな河川にはほとんど橋がなかったが、日本は大きな川にいくつもの橋を架けた。1900年に漢江には1100メートルの鉄橋を架けた。これは今でも使われている。 (1979年は、韓国は同規模の聖水大橋を架けたが、15年後に崩壊し、32人が死亡した。)
    9. 1911年に、日本は鴨緑江に東洋で初めての旋回式の鉄橋を架けた。
    10. 総督府は、多くの港と防波堤を作った。
    11. 裕福な家はロウソクや石油ランプを使い、貧しい庶民はエゴマや松ヤニを使っていたが、日本は電信柱を無数に立て、ほとんどの家に電灯が灯るようにした。
    解説
    • 『米国観光団の朝鮮人観』 (大正13年, 1924年) (国立国会図書館デジタルコレクション p.10-11)によれば、

      「朝鮮の山には草木なしと聞き居たるが今回の観光に依り鉄道沿線の状況を見るに今や山野に相当の樹木茂り居るを認めたり之亦日韓併合の賜なるべし」と書かれている。
  3. 農業

    1. 日本は朝鮮の土地を開墾し、耕地面積を倍近くに増やした。
    2. 雨水頼りの朝鮮の農業だったが、日本は貯水池やため池をいくつも作り、水利組合を組織して、防水や灌漑を行った。
    3. 土地改良をして、冷害に強い品種の米を導入した。
    4. 興南に世界一の窒素肥料工場を建て、そこで作った肥料をふんだんに投入した。
    5. 畜産の奨励。金融組合を作り、希望する農家に仔牛を1頭無料で貸し出し、仔牛が生まれたらそれを組合に提供すれば、親牛は農民のものになるシステムを作った。
    6. 農業学校を作り、日本から連れてきた多くの農学者に朝鮮人の若者を指導させた。
    7. 穀物や野菜の収穫量が増え、併合時の人口は約1300万人だったが、1942年には2550万人以上になった。30年足らずで約2倍になった。
    8. 併合時は平均寿命が24歳だったが、42歳まで伸びた。
  4. 工業

    1. 李氏朝鮮時代は農林水産業約80%、工業生産約18%だったが、併合以降、農林水産業約43%、工業生産約41%と変わった。
    2. 併合の翌年の1911年から1938年まで、朝鮮の経済成長は年率3.8%という高成長だった。
    3. 併合前の朝鮮の年間予算は1700万円だったが、日本政府は朝鮮に対し、毎年3000万円近くもの巨費を投じた。
    4. 世界最大級の興南の窒素肥料工場、東洋一の水力発電の水豊ダム、世界一の規模の鎮南浦の工業団地を作った。
  5. 生活環境の改善

    1. イギリスの女性旅行家イザベラ・バード「朝鮮紀行」(1894~1897)日韓併合前
      「城内ソウルを描写するのは勘弁していただきたいところである。北京を見るまでわたしはソウルこそこの世で一番ひどい臭いだと考えていた。」 「下水道は市内の汚水を夜に昼に絶えず城外に排泄している。そのために下水道の泥は真っ黒に幾代も昔からの濁水に染められ、悪臭を空中に放散して旅人を悩ましている。」 「路傍には悪臭紛々たる溝を控え、路面はあくまで垢付いた半裸体の子どもと、獰悪な犬とによりて占領せられている」 (p.40)
    2. スウェーデンのジャーナリスト、アーソン・グレブスト「悲劇の朝鮮」(1904~1905)日韓併合前
      「釜山の道は狭く不潔で、家屋は低くて見栄えがしなかった。日本のように人目を引く商店や、古い寺などもない。 四方から悪臭が漂い、戸外にはごみが積もり、長い毛をだらりと垂らした犬が集まってきては食べ物をあさっている。 あちこちに乾上がった下水道があるが、そのべとべととした底ではいろいろな汚物が腐りかけている。」
    3. 19世紀朝鮮を旅した本間九助「朝鮮雑記」(1804年)
      朝鮮人の不潔さは街だけでなく、生活全般においてそうだった。市場で野菜や魚を売っている人たちは、地べたに食べ物を置き、 腐っているものも珍しくなかった。入浴の習慣がなく、体からも異臭が漂っていた。 民家の壁は荒壁で触れただけで衣服が汚れ、屋根裏に泥を塗っただけの天井は極端に低く、広い部屋でも6畳ぐらい、狭い部屋だと1畳に及ばない。 家の中に尿瓶のようなものを置き、尿意を催すとそれで用を足した。婦女子が陰部を洗うときは尿を用いた。梅毒などの伝染を防ぐと信じられていたようだ。
    4. 18世紀朝鮮の実学者・朴斉家「北学議」
      「わが都城内の人糞は浚い尽くすことがなく、悪臭は道路に充満し、橋のたもとや土塀の下には人糞が累々として溜まっており、大雨でも降らない限りこれが洗い浄められることはない。」
  6. 身分制度の破壊

    1. 併合前の朝鮮の身分制度
      「王族」、「貴族」、「両班」- 支配階級
      「中人」- 官僚機構を担う専門職
      「常民(常奴)」 - 多くは小作農
      「賤民階層」 - 最も身分が低いのが「白丁」で、戸籍もなく、姓もない。
    2. 総督府は、賤民にも戸籍を与え、学校に通うことを許可した。
    3. 奴卑を解放し、奴隷制度を撤廃した。
    4. 奴卑など奴隷には姓がなかったが、戸籍を作ったため、姓を持つこととなった。女性は名前を持たなかったが、女性も姓と名前を持つこととなった。
  7. 両班の特権の廃止

    1. 両班は支配階級で、常民に対して生殺与奪の権利をもち、常民はそれに逆らうことはできなかった。
      イザベラ・バードは、次のように書いている。
      「両班は自分では何も持たない。自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本さえ持たない。 慣例上、この階級に属する者は旅行をする時、大勢のお供をかき集めるだけ集めて引き連れていくことになっている。 本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。 従者たちは近くの住民を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」
      「朝鮮の災いの元の一つにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある。」
    2. 総督府は、両班の特権を奪い去ってしまった。
  8. 奴隷制度の廃止

    1. 併合前の朝鮮には、奴隷(奴卑)が約3割いた。すべての奴隷は人間ではなく品物と同じだから、主人は勝手に売買することができ、 その奴卑にどんな暴力をふるっても、殺しても何ら問題にならなかった。アメリカの黒人奴隷と同様か、それ以上に厳しい奴隷制度だった。
    2. 総督府は、併合と同時に奴卑を解放した。
  9. 刑罰の破壊

    1. 「凌遅刑」の廃止。「凌遅刑」とは、生きている人間を少しずつ切り取り、長時間にわたって苦しみを与えながら殺していく刑罰である。
    2. 朝鮮に昔からある残虐な刑罰の廃止。開明派の金玉均は、上海で暗殺され、朝鮮政府は彼の死体の胴体は川に捨て、首は京畿道竹山、片手及び片足は慶尚道、 他の手足は咸鏡道に晒された。
  10. シバジの禁止

    1. 「シバジ」は最下等の女性の賤民で、跡継ぎのいない両班の男の子を産むことにより報酬を受け取る職業。 女子が生まれると、母親に引き取られ、「シバジ」となった。
  11. 乳出しチョゴリの禁止

    1. 併合前の朝鮮には、「長男を産んだ女性は乳房を露出する」習慣があった。女性にとっては誇らしいものだった。 長男を産んだ女性は、「女性としての仕事を立派に為し得た」と見なされ、チマチョゴリから乳房を出してもいいという「特権」のようなものが与えられた。
    2. 総督府は禁止したが、1950年代までその風習は細々と残っていた。
  12. 嘗糞の禁止

    1. 朝鮮に伝わる民間療法の1つである。人間の便を嘗めて、その味によって体調を診断するというものである。 今村鞆が1914年著した「朝鮮風俗集」によれば、 「親の病の時その糞を嘗める。その味が甘くして滑らかなれば全快せず、苦くて粗なれば全快すると云う、云い伝えにより快否を験する為である。 糞には胆汁が働いているから大抵は苦みがあろうが、甘みのあるものは恐らくあるまい。」
    2. 総督府は禁止したが、1950年代までその風習は細々と残っていた。


<to be continued>
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